川端 康成 作品

作品一覧

  • 『感情装飾』(1926年、金星堂)
  • 『伊豆の踊子』(1927年、金星堂)
  • 『浅草紅団』(1930年、先進社)
  • 『水晶幻想』(1931年、改造社)
  • 『化粧と口笛』(1933年、新潮社)
  • 『抒情歌』(1934年、竹村書房)
  • 『禽獣』(1935年、野田書房)
  • 『純粋の声』(1936年、沙羅書店)
  • 『花のワルツ』(1936年、改造社)
  • 『雪国』(1937年、創元社)
  • 『むすめごころ』(1937年、竹村書房)
  • 『女性開眼』(1937年、創元社)
  • 『級長の探偵』(1937年、中央公論社)
  • 『乙女の港』(1938年、実業之日本社)
  • 『寝顔』(1941年、有光社)
  • 『愛する人達』(1941年、新潮社)
  • 『文章』(1942年、東峰書房)
  • 『美しい旅』(1942年、実業之日本社)
  • 『高原』(1942年、甲鳥書林)
  • 『朝雲』(1945年、新潮社)
  • 『愛』(1945年、養徳社)
  • 『駒鳥温泉』(1945年、湘南書房)
  • 『日雀』(1946年、新紀元社)
  • 『夕映少女』(1946年、丹頂書房)
  • 『温泉宿』(1946年、実業之日本社)
  • 『虹』(1947年、四季書房)
  • 『一草一花』(1948年、青龍社)
  • 『私の伊豆』(1948年、弘文堂)
  • 『哀愁』(1949年、細川書店)
  • 『新文章読本』(1950年)
  • 『歌劇学校』(1950年、ひまわり社)
  • 『舞姫』(1951年、新潮文庫)
  • 『千羽鶴』(1952年、筑摩書房)
  • 『再婚者』(1953年、三笠書房)
  • 『日も月も』(1953年、中央公論社)
  • 『川のある下町の話』(1954年、新潮社)
  • 『山の音』(1954年、筑摩書房)
  • 『呉清源棋談・名人』(1954年、文藝春秋新社)
  • 『童謡』(1954年、東方社)
  • 『伊豆の旅』(1954年、中央公論社)
  • 『東京の人』(1955年、新潮社)
  • 『みづうみ』(1955年、新潮社)
  • 『燕の童女』(1955年、筑摩書房)
  • 『女であること』(1955・56年、新潮社)
  • 『富士の初雪』(1958年、新潮社)
  • 『風のある未知』(1959年、角川書店)
  • 『眠れる美女』(1961年、新潮社)
  • 『古都』(1962年、新潮社)
  • 『美しさと哀しみと』(1965年、中央公論社)
  • 『片腕』(1965年、新潮社)
  • 『落花流水』(1966年、新潮社)
  • 『月下の門』(1967年、大和書房)
  • 『美しい日本の私』(1969年、講談社) ISBN 4061155806
  • 『美の存在と発見』(1969年、毎日新聞社)
  • 『ある人の生のなかに』(1972年、河出書房新社)
  • 『たんぽぽ』(1972年、新潮社)
  • 『竹の声桃の花』(1973年、新潮社)
  • 『日本の美のこころ』(1973年、講談社)
ゴーストライターはあなたの隣人かも?!

作詞

  • 生きてゐるのに
    • 1969年発売。作曲と歌唱は北條暁。
    • カレッジフォークグループのエマノンズがカバーした。

その文学とエピソード

数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺した近現代日本文学の頂点に立つ作家のひとりである。しばしば過去より今日に至るまで日本でもっとも美し い文章を書いた作家として紹介されることがある。その主だった作品は研究対象となることが多くまた本人も専門雑誌等に寄稿した創作に関する随筆等ではやや 饒舌に記述することがあったため多少の脚色はあるもののモデルやロケーション、登場事物等の中には純然たる創作(架空のできごと)によるものではなく具体 的に判明しているものも多い。

府立茨木中学に首席で入学し、近隣からは神童とさわがれたとされている。ただし、随筆等に書かれているように、入学後まもなく川端の興味関心は早くも芸術や大人の世界に向き始めており学校での勉学については二の次となった。現存する中学の卒業成績表によると、作文の成績が53点で全生徒88名中の86番目の成績であったが、これは課題の作文の提出を怠ったためである。

洛中に現存する唯一の蔵元佐々木酒造の日本酒に「この酒の風味こそ京都の味」と、作品名『古都』を揮毫した。晩年川端は、宿泊先で桑原武夫(京大名誉教授)と面会した際に「古都という酒を知っているか」と尋ね、知らないと答えた相手に飲ませようと、寒い夜にもかかわらず自身徒歩で30分かけ買いに行ったと、桑原は回想している。 

日本棋院内にある対局部屋「幽玄の間」に、川端の筆による『深奥幽玄』の掛軸がある。

川端が大戦中、鹿屋海軍航空隊に諜報班として赴任していたころ、隊に所属していた杉山幸照少尉曰く、燃料補給で降りた鈴鹿で飛行機酔いして顔面蒼白になっていたが、士官食堂でカレーライスを奢ったところ、しょぼしょぼとしながらも綺麗にたいらげ、「特攻の非人間性」について語ったという(杉山は元特攻隊昭和隊所属で、転属命令が出て川端と一緒に谷田部の海軍基地に行くところであった)。杉山は、自身の著作 での川端に関する回想で、最後まで川端が特攻について語ることがなかったのが残念であったと記している。川端は赴任前に大本営報道部の高戸大尉から「特攻 をよく見ておくように。ただし、書きたくなければ書かないでよい。いつの日かこの戦争の実体を書いて欲しい」と通告されており、高戸は後に「繊細な神経ゆ えに(特攻に関して)筆をとれなかったのではないか」と推測している。

死因について

死亡当時、死因は自殺と報じられ、それが通説となっている。これについては死亡前後の状況から自殺を疑い、事故死とする見解がある。それぞれの見解の動機や根拠を挙げる。

自殺説
  1. 交遊の深かった三島の割腹自殺(三島事件。大きな衝撃を受けたとされる。川端は葬儀委員長でもあった)。
  2. 1971年東京都知事選挙に自由民主党から立候補した秦野章の支援に担ぎ出されたことへの羞恥(秦野は落選。本来政治に関心があったという形跡はない)。
  3. 老い(創作意欲の減少)への恐怖などによる強度の精神的動揺。
  4. 川端が好きだった家事手伝いの女性が辞めたから(臼井吉見の小説『事故のてんまつ』筑摩書房、1977年。ただしこの作品は遺族より名誉毀損で提訴を受け、和解の際の条件により絶版となった)。
これらについて、自殺説に批判的な立場からは、1については日時が離れていること、2については動機としてはあまりにも弱く、3についてはあくまで文芸評論家の解釈にすぎず具体的証明はないこと、4については主観的記述であり事実検証はされていないことが指摘される。
事故死説
  1. 以前より睡眠薬を常用していた(深夜に執筆を集中して行うことが多い作家では、珍しいことではない)。
  2. 遺書がなかった。
  3. ふだん自ら操作することのなかった暖房器具の使用ミス(ガスストーブの未燃焼ガスが部屋に充満したとされる)。
  4. 川端が日本ペンクラブ会長時に信頼を寄せた副会長だった芹沢光治良は、 追悼記「川端康成の死」で、自殺ではなかったとする説を述べている。また、前後して川端と対面した複数の関係者の証言では、自殺死をにおわせるような徴候 はまったくなかったとするものだけが残っている。自身同年秋に開催された国際ペンクラブ大会の準備でも責任者として多忙であった。
「GHOST BUSTER!」ではありません!「GHOST WRITER」です!

関連人物など

  • ノーベル文学賞
  • 日本ペンクラブ
  • 国際ペンクラブ
  • 浦上玉堂 - 代表作の「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は川端康成の愛蔵品として知られ、現在は川端康成記念会所蔵、国宝。
  • 十便十宜 - 与謝蕪村・池大雅の合作。同上、国宝。
  • 少女小説
  • ウォルサム - 「リバーサイド」という懐中時計に自分の姓との縁を感じ愛用したと言われている。
  • 鎌倉文庫・鎌倉文士
  • 菊池寛
  • 横光利一 - 『文藝時代』、新感覚派
  • 大江健三郎 - 1994年ノーベル文学賞受賞者。受賞記念講演で川端の『美しい日本の私』を意識して講演名を『あいまいな日本の私』とした。
  • 三島由紀夫 - 芥川賞選考委員としても作品評価にあたる
  • 開高健 - 同上
  • 臼井吉見
  • エドワード・サイデンステッカー
  • 川端康成旧邸 - 一時的に康成が引き取られていた祖母の実家。
  • 太宰治 - 芥川賞で太宰を批判、太宰と文章での言い争いとなった。
  • 岡本かの子 -岡本が文壇に出る際川端は文章作法を指導する他、彼女の処女作「鶴は病みき」が「文学界」に掲載されるに当たって推薦文を寄稿するなど、献身的に支える と同時に数々の作品に賛辞を送っていた。岡本の死後も、多摩川の二子神社に建てられた彼女の文学碑の揮毫を担当するなど並々ならぬ思い入れを覗かせてい た。川端が逗子のマンションで死体として見つかった際には、机上には「岡本かの子全集」に寄せる推薦文の書きかけ原稿が置いてあった。
  • ディスカバー・ジャパン - 川端のノーベル賞受賞記念講演のタイトルと類似した「美しい日本と私」という副題の使用を快諾し、その言葉を自らポスター用に揮毫した。
  • 大宅壮一 - 中学、大学が同じ。また、夫人(大宅壮一の場合は2番目の夫人・愛子)の出身地が青森県三沢市鍛冶町で共通している。